無意味な後悔

 
毎日、父の遺影の前で手を合わせ、大好きだったお茶を供える。
遺影の中の父は、とても父らしい顔をしていて、思わず普通に話しかけてしまうくらい自然体。
 
楽しいことが好きで、
食べることが好きで、
人と話すことが好きで、
娘の私を大事に大事にしてくれた。
 
ほんの数年前は旅行もしていたのに。
いつの間にこんなことになったのか。
 
自身の介護ブログを読むと、その時の苦労が思い出されるけど、
そんな苦労を再び抱えることになっても、父に会いたいという気持ちが強い。
 
優しくしたい
もっともっと優しくしてあげたい
 
二人でドライブして、美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、生きている楽しさを味合わせてあげたい。
 
今更ながらの無駄な後悔です。
でも振り返れば、いろんなところへ行った痕跡があるんですよね。
写真もいっぱい。
笑顔の父が至る所に居て、ほんの少し慰められる気がします。
 
それでもやっぱり、寂しいですけどね。
会いたいと願う気持ちは日に日に強くなり、胸の中でずっしりと石化しています。
 
 
 
 
 

コメント

  1. クリアアサヒ より:

    Unknown
     こんにちは。卯月さんのブログいつも拝読しておりました。突然私の母が亡くなりました。中々心の整理がつきません。卯月さんが色々介護されていたのも存じております。私は何の介護もなく亡くなってしいました。認知症の気配は感じつつですが毎日のようにケンカ腰で話していました。しかしいざ亡くなってみたら思い出しか出てきません。涙しながらコメントしております。人間とは何と弱く忘れやすいものなのかと。

  2. 卯月 より:

    Unknown
    クリアアサヒさんへ
    まずはご冥福をお祈りいたします。
    そうですね。私も同じ気持ちを抱えております。
    喧嘩して、投げやりに怒鳴りつけたことは数え切れません。
    優しくしてあげたらよかった。
    不安なのは父のほうだったのに。

    認知症という病には、なかなか心を寄り添わせることが出来ないのです。
    それが一番いやなところ。
    私もたくさんの情報を仕入れながら、結局実践することが出来ませんでした。
    それこそが介護の難しさなんでしょうね。
    クリアアサヒさん、みんな同じですよ。思い出は優しくていいと思います。それでいいんです。
    お母様の何気ない日常を思い出して、いつも心の中に留めてください。
    私もそうしています。後悔なんて富士山よりも高く積み上がってますけどね。
    泣きたいときはとことん泣いてください。同じですから!

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