これを言うと贅沢な!と思われるかもしれませんが、実はパンの耳が苦手です。
サンドウィッチでも出来たら耳なしのものを選び購入します。
よほど香ばしいパン耳なら喜んでかじりつくのですが、基本は苦手。
幼い頃、近所のパン屋さんでパン耳だけを30円で購入し、砂糖をまぶして揚げる、所謂ラスクというものを母に作ってもらってました。
ほぼ毎日です。
…………おかげで飽きましたけどね。
食べ過ぎて飽きる、という経験は皆さんも良くあることだと思います。
どんな美味しいものでも、そうなってしまいます。
ちなみにドーナツも一時期、食べ過ぎて飽きました。
これもまた母の影響です。
今から考えると、家で作るドーナツは素朴な味わいでとても美味しかった。
今で言う、サーターアンダーギーのような出来映えで、クリームも何もなく、シナモンシュガーが振りかかっているだけのシンプルなものです。
節約家?の母は、とにかく大量の小麦粉を買ってきて、毎日アホほど作るんです。
友達にあげたり、父の事務所の人にあげたり。
(迷惑じゃなかったろうか)
しかし、手間も暇もかかっていることを、この年になってようやくわかりました。
父と昔話をするとき、必ず母の思い出が登場するんですが、「仕事人間」だった父の中にあまりこういった記憶はありません。(消えたのかもしれないが)
共通の思い出は思いの外少ないんだなぁ、と感じ、ふと寂しくなってしまいました。
よく考えると、私はたった15年しか母と暮らしてこなかったわけだから、もしかするとそれ以前の思い出の方が多かったり?
共有出来ないのも当然なんですね。(笑)
古くからの友人は
「もっちゃん(私のあだ名)のお母さんは厳しくて怖かった!けど何かにつけ、花見やパーティとかしてくれて、すごい気合い入ってたね。」
と懐かしみます。
そういう思い出をたくさん作ってくれた母に、感謝することなく別れてしまったわけだから、それはそれで後悔しちゃうんですよね。
先日、大阪の墓の前でふとこんなことを考え、なるほど、~孝行のしたい時分に親はなし~とはこういうことを言うのか、と実感しました。
ま、実際、目の前にいたら、感謝どころか、喧嘩ばかりだと思いますけど?
コメント