卯月の実母
(with 卯月本人)
「享年64歳」
身体の弱い母だったが、気は強かった。
卯月もこの母も干支が巳年のせいか
ぶつかることは多々あったし、ケンカも半端じゃなかった。
47歳という高齢出産の末、病弱ながらも
私を育て、躾け、立派な女性になるよう望んでいた母だった。
正直実父よりも愛情は深かったのかも・・・。
私の強情さ故、母はストレスを溜め続けていたのかも知れない。
煙草がやめられなかったから肺ガンになってしまった。
致命的だった。
この年になって思うのはやはり母親の言葉や愛情。
もっと長生きしてほしかった。
中学三年の冬、母が他界するまで
私は自己中心的で、分からず屋の娘でした。卯月の義母
「享年58歳」
私が人生の中で「おかあさん」と呼べる二人目の人。
最初の出会いは鳥取。
主人(当時交際中)が運転教習中に不運な事故に巻き込まれ
入院していたとき、お義母さんが駆けつけてくれた。
(半分観光の目的でもあったが・・・)
健康マニアで、健康食品が大好き。
初対面でアロエジュースを私に勧めてくれたが、
なかなか口に合わなかった。
交際中、何度も富山の家へお邪魔して
長居してしまったけど、文句もいわず美味しい料理を作ってくださった。
嫁いでから、畑仕事の手伝いをしたけど、体力的にも精神的にも
役立たずな私を長い目で見てくださった。
風邪ひいた時は、自家製のカリン蜂蜜漬けのドリンクを
飲ませてくれたし、家事など一切放棄しても不満を口に出さない人だった。
頑張り屋さんで明るく、優しいおかあさん。
仕事は辛いけど人と話すのはすごく楽しいと、毎日、養鶏場へ通っていた。
私たち夫婦が富山から再度大阪で生活をはじめようとしていたとき、
不幸な事故であっというまに逝ってしまった。
最後の電話・・・主人が蓄膿の手術を終え、無事退院できそうな時、
「●●をよろしくね、お願いします。」
と何度も義母は珍しく殊勝な言葉を吐いた。
それから一週間も経たない内に他界。(このブログを始めたころ)
お義母さんと呼んでいた時期はわずか1年半。
将来の未来予想図などは打ち消され、現在に至る。
我が家族 「母編」

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